2018年06月16日

お久しぶりです

履歴を見たら、なんと2月からブログ更新していないではないか!?
これでブログと言えるのか!!
というお叱りを受け、久しぶりに書きます。

1月の上海の後、2月はフィリピン、そして4月はドイツに行ってまいりました。

フィリピンはフィリピン人の整備士の採用のためマニラへ行ったのです。
前回失敗したミャンマー人の教訓を活かし、今回は既に整備の経験がある整備士の研修生として受け入れることとなりました。

南国は暑い。そのイメージでもちろん半袖を持ち行ったのですが、思いのほか暑くはありませんでした。
長袖は無理でも、半袖だけでは寒い。
南国特有に今やエアコンがバンバン効いているからであります。
結果半袖にカーディガンを羽織って、外に出て暑ければ脱いで、室内では着てって言う感じでした。

宿泊したホテルが海のそばということもあり、とても素敵な夕陽を見ることもできました。
ミャンマーもそうでしたが、フィリピンもモータリゼーションが巻き起こっており、同じく交通渋滞が慢性化しております。
夜の11:00過ぎにマニラの空港に到着してから夜中であるにも関わらず、渋滞でホテルまで1時間半もかかりました。土曜日で海岸線の道がカップルなどの行楽で混んでいるとのことでした。

翌日は日曜日のため、市内観光をさせてもらいました。
最初に訪れたのはマニラ大聖堂です。
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日曜日ということもあり、大規模なミサが行われおり、神父さんの説法の様子がフィリピン国内に生中継されております。この大聖堂は国内で2番目に古い教会だそうです。
私は仏教徒でありますが、そこは日本人、にわかクリスチャンとなり柱に備わっている彫刻の像がボウルのような器を持っており、その中にある水を手先に付けて十字を切り厳かにお祈りしてきたわけであります。
「帰国の人材をお借りします。人財にしてお返しします」

大聖堂を出たところに小さな公園があり、そこで迎えのハイエースと待ち合わせていると、様々なものを売りに周りに集まって来ました。
昔日本のどこかの観光地にもあったゴム巻の仕掛けでバタバタ羽ばたいて飛ぶ鳩のおもちゃや、帽子、キーホルダー、iPhoneの偽物、凄いのは「大日本帝国」と書かれてある古銭。レプリカに違いないのだろうが、良くできているなあと感心します。
ほどなくハイエースが来たのでそれに乗り、中心部にある大きな公園へ。
リサール公園といって英雄リサール氏を祭ったとてもとても広い公園です。
様々な催し物が行われているのを横目に野郎3人で散策。
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周りはオフィスビルが立ち並ぶ中での緑の平原は程よい湿度とともに暖かく包んでくれました。

ショッピングモール内で遅めの昼食を摂り、15時くらいにホテルへ戻りました。

夕食まで時間があったので、シャワーを浴びた後、プールサイドのカクテルバーでビールを飲みながら読書。
この時読んでいたのは「琥珀の夢」の下巻。
サントリーの創始者鳥居信治郎氏の伝記小説です。
久々に涙を流しながら感動した本でした。
ブログの読者にも是非お勧めします。
夕陽を眺めながら感動的な小説を読みふけり、時折涙を拭う日本人のおっさんを、バーのスタッフや周囲のお客さんはどのように思っていたのか知り得ませんが、良い時間と空間であったことをいまだに思い出します。

日本でフィリピン人を受け入れるスキームを担うエージェントの社長さんたちと夕食を共にし、現在既に東北に勤務している研修生のお話などを伺い、明日の面接への意欲をかきたて就寝。

面接の場所がマニラから1時間半ほど離れたラスピニャス市にあり、少し早めに出発。
日本語学校を開いている面接会場に向かいます。
2人の募集に際し、応募がなんと25人。
面接しているとなかなか良い人材がたくさんいて、結局4人に増やして採用致しました。
最終面接には7人残ったのですが、この研修生制度は、一度日本に入ると、研修が終了する期間3年〜5年帰国することはできません。
そういった背景もあり、妻子のいる人はどうしても私の心が痛み、断腸の思いで落選いたしました。
もし現地法人を立ち上げることなどになれば是非にも採用した人たちでした。
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丸一日掛かりで面接を行い、採用を決め、帰りにフィリピンの整備工場を突撃で視察させてもらいました。
米国資本らしく、とても大きな整備工場でした。
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マニラ市内のホテルへ帰り夕食。先ほどの日本語学校のエージェントの方も加わり夕食で懇談しました。
この研修生派遣のスキームは某A損保会社の中から立ち会ってスピンオフでできた法人です。
そのA保険会社は特に自動車業界の整備の部門に精通している会社で、整備業界に対する問題意識や課題を解決するためにこの事業を立ち上げた時の強い思いを語ってくださいました。
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私が初めて訪れた海外は実はフィリピンでした。
その時はピナツボ火山が噴火し、麓に住んでいたアエタ族という民族がその大量の火山灰により住めなくなってしまいました。
移住した先で焼畑農業から有機農業を教えるプロジェクトがあり、その一環でトイレ(有機物)を作るといったボランティアでした。
正味3日ほどでトイレは出来上がり、他に海岸でマングローブを植樹したりもしました。
当時(1992年)は、機関銃を携えたポリスが我々を先導してくれました。
アキノ大統領(女性のほう)誕生の頃で政情も混とんとしていた時でもありました。

今回数十年ぶりにマニラを訪れ、街並みは大きく変わっており、何よりも商売柄クルマをみてしまうのですが、クルマの質が明らかに違っていました。ファイナンスの充実などもあり、走っている車の大部分が新しめの車です。
機関銃を携えたポリスも見ませんでした。

平和がもたらした恩恵ともいうべきでしょうか?
清潔で文化的な生活の次にくる課題はやはり環境問題なのでしょう。
日本に来る研修生にも単に技術だけでなく、日本の文化とその根底に流れるマインドを学ばせたいなと思いつつ帰路に就きました。


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posted by サンライズマン at 11:45| Comment(0) | 社長の日記
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